鑁阿寺で節分鎧年越(せつぶん よろいとしこし)
2014,02/06(Thu)
鑁阿寺で節分鎧年越(せつぶん よろいとしこし)が行われました。
鑁阿寺はお正月に初詣に行った場所。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多いお寺です。
鎌倉時代中期、足利尊氏をさかのぼる5代前の足利泰氏が、
坂東武者500騎を鑁阿寺南大門へ勢揃いさせたという故事に始まる古式ゆかしい行事です。
旧国道50号線のメインストリートには踊り手の人たちが始まりの時を待っていたの。
実はこの節分鎧年越でこの踊りをすることは知らなかったの。
きっと地元の人は知っているのかなぁ~。 地元ではない人たちはこれは何の踊り? という感じったよ!
内容のスケジュールを見てもこの踊りの説明がなく
武者に扮した鎧を着飾った市民200人が練り歩く事だけ書いてあるの。
この子たちの踊りは素晴らしかったから、説明があるといいかもって思ったよ^^♪
激しく勇ましく勇壮なこの踊り。 子どもたちの舞がとても素晴らしかったよ。
家に帰ってから調べてみたけど、
この踊りについて書いているものが、見つけることが出来ませんでした。残念だわ~!
祭囃子保存会の方たちによる、
お囃子や太鼓の演奏が行われていてムードを盛り上げていました。
一足早く鑁阿寺に着くと、まだ人はまばらだったよ。
でも、すぐにどんどん人が集まってきて…
坂東武者に扮し鎧で着飾った市民を楽しみにみんな待っていました。
市長扮する大将を中心に、
坂東武者に扮した鎧を着飾る市民200人が法螺貝・陣太鼓を鳴らしながら、
織姫公民館から鑁阿寺までの県道桐生・岩舟線(旧国道50号)1.3kmを1時間かけて練り歩き
ここ鑁阿寺に到着した様子~!
暗い境内の中、ほのかな明かりとカメラマンのフラッシュが光っていたよ
鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、
1196年に邸内に持仏堂を建て、
守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、
約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影が残るお寺です。
ふと気が付くと… さっきまでお隣にいた小学生の男の子が…
いつの間に… 成長? な訳ないか!(笑)
よく見たら「わたらせテレビ?」のカメラマンさん。 カメラ重くないのかな~
鎧・冑に身を固めた武者たちがホラ貝や太鼓の音が響いて
まるで歴史絵巻を見ているようだったの。
鑁阿寺では追儺式(豆まき)を行います。
勇壮な豆まきで他には見る事の出来ない 古式ゆかしい行事だわ~。 感激~!!
江戸後期から明治時代にかけて一時途絶えましたというこの追儺式(豆まき)
大正2年に復活し、現在に至っているとこと。 復活して良かったね
2013年8月に鑁阿寺の本堂が国宝建造物に指定され…
こてから益々鑁阿寺の魅力を他県の方のも知ってもらう機会が増えるそうだね。
そんな鑁阿寺の節分鎧年越は…
足利に春を呼ぶ伝統行事「節分鎧年越」(せつぶんよろいとしこし)として、
市民のみんなに愛される行事なのだと思ったよ
素晴らしいで見れて良かったわ~~ 一度是非見て欲しいわ!!
鑁阿寺(ばんなじ) 節分 鎧年越
行列順路 1.織姫公民館を午後7時に出発
2.県道桐生・岩舟線を東進
3.鑁阿寺に午後8時頃到着
住 所 栃木県足利市家富町
電 話 0284-41-2627
ランキングに参加しています
励みになっています♪ ポチっと、していただけたら嬉しいです
にほんブログ村
鑁阿寺はお正月に初詣に行った場所。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多いお寺です。
鎌倉時代中期、足利尊氏をさかのぼる5代前の足利泰氏が、
坂東武者500騎を鑁阿寺南大門へ勢揃いさせたという故事に始まる古式ゆかしい行事です。
旧国道50号線のメインストリートには踊り手の人たちが始まりの時を待っていたの。
実はこの節分鎧年越でこの踊りをすることは知らなかったの。
きっと地元の人は知っているのかなぁ~。 地元ではない人たちはこれは何の踊り? という感じったよ!
内容のスケジュールを見てもこの踊りの説明がなく
武者に扮した鎧を着飾った市民200人が練り歩く事だけ書いてあるの。
この子たちの踊りは素晴らしかったから、説明があるといいかもって思ったよ^^♪
激しく勇ましく勇壮なこの踊り。 子どもたちの舞がとても素晴らしかったよ。
家に帰ってから調べてみたけど、
この踊りについて書いているものが、見つけることが出来ませんでした。残念だわ~!
祭囃子保存会の方たちによる、
お囃子や太鼓の演奏が行われていてムードを盛り上げていました。
一足早く鑁阿寺に着くと、まだ人はまばらだったよ。
でも、すぐにどんどん人が集まってきて…
坂東武者に扮し鎧で着飾った市民を楽しみにみんな待っていました。
市長扮する大将を中心に、
坂東武者に扮した鎧を着飾る市民200人が法螺貝・陣太鼓を鳴らしながら、
織姫公民館から鑁阿寺までの県道桐生・岩舟線(旧国道50号)1.3kmを1時間かけて練り歩き
ここ鑁阿寺に到着した様子~!
暗い境内の中、ほのかな明かりとカメラマンのフラッシュが光っていたよ
鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、
1196年に邸内に持仏堂を建て、
守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、
約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影が残るお寺です。
ふと気が付くと… さっきまでお隣にいた小学生の男の子が…
いつの間に… 成長? な訳ないか!(笑)
よく見たら「わたらせテレビ?」のカメラマンさん。 カメラ重くないのかな~
鎧・冑に身を固めた武者たちがホラ貝や太鼓の音が響いて
まるで歴史絵巻を見ているようだったの。
鑁阿寺では追儺式(豆まき)を行います。
勇壮な豆まきで他には見る事の出来ない 古式ゆかしい行事だわ~。 感激~!!
江戸後期から明治時代にかけて一時途絶えましたというこの追儺式(豆まき)
大正2年に復活し、現在に至っているとこと。 復活して良かったね
2013年8月に鑁阿寺の本堂が国宝建造物に指定され…
こてから益々鑁阿寺の魅力を他県の方のも知ってもらう機会が増えるそうだね。
そんな鑁阿寺の節分鎧年越は…
足利に春を呼ぶ伝統行事「節分鎧年越」(せつぶんよろいとしこし)として、
市民のみんなに愛される行事なのだと思ったよ
素晴らしいで見れて良かったわ~~ 一度是非見て欲しいわ!!
鑁阿寺(ばんなじ) 節分 鎧年越
行列順路 1.織姫公民館を午後7時に出発
2.県道桐生・岩舟線を東進
3.鑁阿寺に午後8時頃到着
住 所 栃木県足利市家富町
電 話 0284-41-2627
ランキングに参加しています
励みになっています♪ ポチっと、していただけたら嬉しいです
にほんブログ村
- 関連記事
スポンサーサイト